●続きはココから
数回のコールで母が電話口に出ました
突然の連絡にお互いが戸惑いながら事情を話し
母は独身時代~近年まで、大学病院の臨床検査室勤務をしていたので
私よりも病気についての予測は出来ていたようでした
「お母さんを頼ってくれてありがとうね」
そう母は言い、翌日の通院に同伴してくれる約束をしてくれました
この日は、どうしても勤務に戻る気になれず、そのまま帰宅しました
普段より随分早い帰宅にMは驚きを隠しませんでした
この時、私は彼に嘘をつきました
爪の治療に行ったことは言いましたが
【腎臓】 に問題があることをどうしてもMに言う事が出来ませんでした
もしかしたら、何ともないかも!
余計な心配はかけたくない!
翌日、母と一緒に前日と同じ病院へ向かいました
経験したことの無い検査をたくさん受け、病院の各所を転々としました
その間、母と会話をすることはほとんど無く、気まずい空気が流れていた記憶があります
急を要するということで、当日検査結果を出していただき
先の検査同様、片方の腎臓が全く機能していないことが判明しました
機能していない方の腎臓には「結石」と呼ばれる石がイッパイ詰まっていました
水分が全く通らないので、結石は大きくなり
腎臓は 半ミイラ化 していたそうです
水分が通らなくなって、結石が出来たのか
結石が出来てたので、水分が通らなくなったのか
どちらかわからないという医師の話でした
通常は腎臓内で結石が動き、激痛を伴うそうですが
私の場合は、隙間無く結石が詰まっていたので痛みが無かったようです
とりあえず、超音波破砕機という機械を使い、体内の石を砕く治療を進めることになりましたが
この治療は、大きくなりすぎた結石には即効性が出ないとの事・・・
腎臓摘出手術を勧められてしまいましたが、母が医師にこう言いました
「出来ることなら、お腹を開けることなく、摘出などしないで済む方法でお願いします
娘はまだ未婚、未出産ですので、将来のことを考えると
体の中にあるモノは取らずに済ませて欲しいです・・・」
母のこの助言が無ければ、私は何も考えずに「安易な方法」を選んでしまっていたかもしれません
その後の事など全く視野に無かったからです・・・
長期治療になる事と、安静を条件に治療に入ることにしました
通常の生活には問題がありません
しかし、腎臓イッパイの結石を砂レベルまで砕き、尿と一緒に排出する・・・
石が動くたびに激痛が走り、じっと座っていることも困難な日々が続きました
会社にも事情を説明し、休暇に向けての業務はもとより
通常の勤務もセーブすることになってしまいました
痛みと戦いながら1週間~1ヶ月・・・2ヶ月・・・
私はRに、腎臓治療をしていることをまだ言う事ができていませんでした
あまりの痛みに
「腎臓取ってしまって!!!」と叫んだこともあります
しかし、そのたびに母が
「将来、子供を生むときに障害になってしまったらダメだからガマンしなさい!!」
そう私を叱咤する毎日でした
治療を始めて2ヶ月程度が過ぎた頃でしょうか
Rが 『休みはイツ頃取れそう?』 と聞いてきました
まだRに言えずにいた私・・・
休暇こそ、取れる状態でしたが、Mが尋ねてきたときに
この傷みに襲われる可能性が無いとも言い切れません
結石患者には、激痛で救急車で搬送になった場合の事を考え
「治療方法」の明記されたカードが持たされます
救急車の中で、迅速に処置が出来るようにとの配慮からだそうです
イツ、そんな状態になるかもわからない自分
Rに会いたい気持ちは物凄く有りましたが
病気の事を告げることで、彼がどう思うか・・・
私たちには 【心の絆】 しかありません
もし、この話をしたら、Mに会えないまま終わってしまうかも・・・
でも黙っているには限界がある・・・
そう思いながら、私は2ヶ月黙って、隠して、嘘をついていたことを
彼に告げることも決めました
次回は、病気の告白をした時の話を書いてみようと思います
私の心の葛藤、そしてMのとった態度・・・
少しでも伝われば幸いです
長々と読んでくださってありがとうございました
また読みに来てください
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